2009年4月6日月曜日

賢治の学校

「賢治の学校」(鳥山敏子・サンマーク出版)を読みました。

ここのところ、一日一冊ペースです。おもに朝早起きして読んでいます。

奥さんには「また本買ったの??」といわれますが

「いや、まえに買った本、読んでなかったけぇ」とごまかしてます。

これも投資なんですよ~、昨日読んだ「リバレッジリーディング」にも書いてありました。

本への投資は、10倍、100倍になってかえってくるって…

何か本気の行為、本気のことばにふれた瞬間に、からだのなかに大事件がおこるということが人間にはある。

賢治のからだは(中略)開かれた通路の多い、風通しのいいからだをもっていたといえるだろう。

賢治のからだは、自分の生の行為を銀河系の法則に応じているか、ふるいにかけていた。宇宙というもの、そのなかでの幸せというものをそのようにかんじていたのである。

賢治はぜいたくに自分の行きたい思いを貫き、天の理で生きつづけた幸せな人なのだ。

童話だから動物や草や木が話をするように書いたのではなく、賢治の場合は「ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたしはそのとほり書いたまでです」といっているように、まさにそのように感じたままを書いたのだろうし、またそう感じるからだを賢治はもっていたのである。

いってみれば、音楽家が風や光をそのまま音に表現するのと同じ感性を賢治はもっていた。そういうものを感じとる、開けた通路を賢治のからだはもっていたのだと思う。

賢治のからだは、自然と自分、外界と内界を感じとる通路をたくさんもっていたのである。

賢治は物質文明の社会に生きながら、原始の時代の人々と同じようなからだをしていたのだと思う。


からだの自然を取り戻そう!

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