2009年4月27日月曜日

アンパンマン

昨日アルパークにアンパンマンが来ました。
午前の仕事を終えて、カンチャンを連れて行って来ました。
すごい人!カンチャンを肩車して首が痛くなりました〓
「ダイコンヤクシャ」と「鰹節マン」とか言う知らないキャラクターが登場、食パンマンのほうがいいのに…

2009年4月23日木曜日

やせました

最近、よく「やせましたね」と言われます。

大竹のときの患者さんなんかが久しぶりに来ると必ずいわれます。

悩み事があるわけではありません。

ただ朝食をぬいているだけです。

夜8時以降食べないだけです。2月からやってますが、4キロやせました。

からだは調子いいです。

逆に、食べ過ぎると調子悪くなるみたい。

食卓から肉も消えました。野菜ばっかり…そこまでせんでもいいよ、奥さん!

こりゃ、やせるはな。

広島市西区の気功整体治療院 吉原綜合治療院

2009年4月21日火曜日

もうすぐオープン

アルパーク北棟が24日にオープンします。
治療院の真ん前の駐車場も毎日あくことになります。うちにくる患者さんも車を止めやすくなりますね。
109シネマズやフタバ図書が入るらしいです。
映画、最近行ってないなー。
っていうか7年?くらい行ってないよ、たぶん!
最後に観たのは「ダンサーインザダーク」かな?

レッドクリフ観たい!

2009年4月19日日曜日

激戦区

昨日来たHP制作会社のひとによると、広島県は人口比で全国一美容院が多いとか。

美容院多いもんなー、でもがんばってるんですね

セミナーin東京!

中谷彰宏氏のセミナーに行って来ました。
カッコイイおじさん!
サービスマインドを学びました。
患者さんとは一対一の真剣勝負、ひとりのひとに全力投球です。

2009年4月18日土曜日

東京へ

夜行バスにて東京に移動しています。今回も4列シートですが前回に比べ格段に楽です。
前後が広く空いていることと、お隣りさんがスマートなこと、そして自分の体が変わったことによると思います。

2009年4月12日日曜日

奇跡のリンゴ

いまさらですが、父の書棚にあった本「奇跡のリンゴ」を昨日読みました。

なんとなく内容は聞いていたのですが、かなりしびれました!

自分にはここまではとてもできない…

木村さんもすごいけど、奥さまも子供たちもえらいと思う。

人間もリンゴと同じで、肥料をやりすぎると根っこが浅い人間になるのだと思いました。

雑草とともに、害虫とともに、必要最小限の栄養で育てることで強い生命力を発揮する。

それはとてつもなく手のかかることで、根気のいることで、ある意味効率の悪いことなのかもしれません。

しかし台風がきても倒れない強い木は、しっかり根が張っている木なのですね。

自分自身のこと、子どものこと、社会のこと、からだのこと。

すべてはつながっていて、みんなによって生かされている。

それを言葉だけでなく、はらの底からわかっているのは木村さんのような人だけかもしれない。

ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合う


簡単なことではない。

からだに自然を取り戻す!けど自然はやさしいばかりじゃあないよ!

2009年4月10日金曜日

子どものための哲学対話


人間は遊ぶために生きている!

骨トレ!

「動く骨」を読んでから、今まで自分なりに行ってきたものが全部生かされてきた!!

胴体力メソッドも自分ではできているつもりでいたけど、やっぱり間違っていた!

古式整体術で学んだ身体観も、まったくつかめていなかった!

いろいろやってきたことが理解できていなかったということが理解できました(??)

この本にこれまでのメソッドの答えが書いてあるわけではなく、同じ方法論でもない。

でもヒントをいただきました。

つまりこれまで学んだことも無駄ではなかったということ。

わからないなりに、わかったつもりでやったことがここでつながる。

身体感覚を言葉にしてくれることはありがたい。

でもそれがわかるかどうかは、その時点での自分の身体感覚が磨かれているかどうかによる。

わからないこともわからないなりにわかろうとする「時間」も必要なのだと思いました。

効率よく学ぶべきものと、時間が必要なものと両方なんですね。

あ~わからないことがわかりはじめるって楽しいな~

2009年4月8日水曜日

動く骨(コツ)


体幹内操法についての本をはじめて読みました。

非常に面白い。これまでに学んださまざまなことがつながっていく感じ。

いろんな発想をする人がいるんですね。

それを突き詰めて体系化してくださる先生方のおかげで、ぼくは自分のからだについての理解を深めることができます。

以前読んでわからなかったことも、わかったつもりできたつもりになっていたことも、いかされている気がします。

栢野先生いわく、「現状を素直に受け入れる(認知する)ことによって変革が起きてくる」=「現認変革」

この繰り返しで人間は成長していくのですね。

経験だけではない、壁をやぶることによってのみ男は成長するとある人もいっていました。

日々勉強、日々反省、日々漸進です。

自分のからだをもっと知ろう!広島市西区の気功整体治療院

2009年4月6日月曜日

賢治の学校

「賢治の学校」(鳥山敏子・サンマーク出版)を読みました。

ここのところ、一日一冊ペースです。おもに朝早起きして読んでいます。

奥さんには「また本買ったの??」といわれますが

「いや、まえに買った本、読んでなかったけぇ」とごまかしてます。

これも投資なんですよ~、昨日読んだ「リバレッジリーディング」にも書いてありました。

本への投資は、10倍、100倍になってかえってくるって…

何か本気の行為、本気のことばにふれた瞬間に、からだのなかに大事件がおこるということが人間にはある。

賢治のからだは(中略)開かれた通路の多い、風通しのいいからだをもっていたといえるだろう。

賢治のからだは、自分の生の行為を銀河系の法則に応じているか、ふるいにかけていた。宇宙というもの、そのなかでの幸せというものをそのようにかんじていたのである。

賢治はぜいたくに自分の行きたい思いを貫き、天の理で生きつづけた幸せな人なのだ。

童話だから動物や草や木が話をするように書いたのではなく、賢治の場合は「ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたしはそのとほり書いたまでです」といっているように、まさにそのように感じたままを書いたのだろうし、またそう感じるからだを賢治はもっていたのである。

いってみれば、音楽家が風や光をそのまま音に表現するのと同じ感性を賢治はもっていた。そういうものを感じとる、開けた通路を賢治のからだはもっていたのだと思う。

賢治のからだは、自然と自分、外界と内界を感じとる通路をたくさんもっていたのである。

賢治は物質文明の社会に生きながら、原始の時代の人々と同じようなからだをしていたのだと思う。


からだの自然を取り戻そう!

お花見!





自宅近くの公園でプチ花見です。

ほんの30分ほどでしたが、気持よかった~!

2009年4月4日土曜日

子どものからだとことば

身振り、身動きをまねするということは、同じ動きをからだの中に感じるということ。同じ動きは、肉体の動きだけではなく、その動きを生み出してくる生理状態、心理状態全体を、自分の中に感じるということ。
「人の身になってみる」


竹内敏晴の本「子どものからだとことば」から

患者さんの動きをまねすると何かがわかる?



広島市西区の気功・整体院「吉原綜合治療院」

主観

感覚とは錯覚のことであり、錯覚以外の感覚は事実として存在しない。

理解とは誤解のことであり、誤解以外の理解は事実として存在しない。

意見とは偏見のことであり、偏見以外の意見は事実として存在しない。

判断とは独断のことであり、独断以外の判断は事実として存在しない。

「マッサージからはじめる野口体操」

広島市西区の気功・整体院「吉原綜合治療院」

2009年4月3日金曜日

マッサージから始める野口体操

野口体操の本3冊買いました。

そのうちの1冊です。

高岡「ゆる体操」から入った世界ですが、非常に興味深く、これからもはまっていきそうです。

高岡ブームは終わりました。今日からプチ野口ブームがはじまります。

広島市西区の気功整体治療院 「吉原綜合治療院」

ハイパーブルーポリス

ハイパーブルーポリス♪ハイパーブルーポリス♪ハイパ~~ブル~ポ~リ~ス~♪

カンチャンは最近これにはまっています

買ってあげてないんだけど、プラレールについてきた紹介DVDを毎日みてます。

2009年4月2日木曜日

教えることと学ぶこと

学生時代に読んだ本の再読。

竹内敏晴の本に林竹二がでてきたので、読み返してみました。

すでに無くしていたので、amazonで取り寄せました(また買ってしまった)

学生時代に感銘をうけた本でしたが、内容は覚えていなかった!

30年前の本、あれから学校は…ますますひどいことになってるんじゃないでしょうか。

じつは、ぼくは教師を目指していたことがあったのですが、とても自分には出来ないと改めて思いました。

  • 彼らの上にあらわれた変化は、かれらのうちにある生命力が、成長する力が、自分を変える力が働きだしてことによってつくりだされた結果だ。それまでは、なにか外的な事情がその力の働くのを阻害してきたのである。その力の発動によって、かれらは自分自身をつくりかえていったのである。人間内部にこういう力が備わっていることを信じなければ教育は可能にならない。
  • この力を信じないで、人を思うように変えることができると考えるとき、教育は調教によってすりかえられる。
  • 日本の学校では教育ではなくて、調教が大手を振って罷り通っている。

  「絶望をくぐらないところにやさしさはない」