「子どものいたずらを見て、
その行為の中の力を認める」
さっそく実践してみました。
カンチャンがうちわを破って遊んでいます。
破るのはいいとしても、
破った先から紙屑を床に落としていきます。
「カンチャン下に落としちゃいけんよ」
カンチャンは無視して、下に落とし続けています。
→ 叱られるのをわかっていてやり続jけるとは決断力、行動力があるということだ
→ 集中力もたいしたもんだ
→ ひとつのことをやり抜く根性があるぞ
と、心でつぶやきながら
「カンチャン、ここにゴミは入れんさい」
とクズカゴを差し出しました。
すると素直に紙くずを入れだしました。
慣れていないので、ぎこちない感じですが、
なんとなくうまくいったようです。
見ていた奥さんも、ぼくの変化に気づいたようでした。
奥さんいわく
「へー、やっぱり育児は、育自だねー」
子どものおかげで親は成長できます。
子どもを認めるということも、その子供には説明してはいけない。
親が本当に、その子供のいたずらの中から智恵を見る。
盗みの中からその批判する力を見る。
いじわるの中からでもまた見るものを見つけてゆく。
その子供の行為の中にある、
行為を最初に起こす力を、
摑まえ出すことが大事である。
認める方法については、
親がまずありのままを見ることだ。
子どもがごく小さい時には
親は子供が這ったというだけでも
這える力を喜び、
摑んだ、立ったといっては喜んだ。
その心さえ忘れなければよいのだ。
野口晴哉「躾の時期」
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