以下、野口晴哉先生の著作「誕生前後の生活」から
育てつつあることの自覚
教育ということは受胎したときから始まります。生まれてからでは遅いのです。教育を意識に限定してしまえば、生まれてからでなくては行えない。しかし意識以前、すなわち潜在意識教育を行おうとするならば、受胎と同時に始めるのが本来である。
潜在意識教育というのはどういうことか、それは意識ではないこころを豊かにすることである。同じ生まれたての赤ちゃんでも、泣くとうるさがられたり、またよく面倒をみられたりすることがあります。赤ちゃんのもって生まれた人格とか徳とかいうものがそうさせるのでありましょう。
大勢のなかでもすぐ目立つ子と、黙っているとその存在を忘れられてしまう子がいます。それを生まれつきの素質だとして自由にならぬものと多くの人は思いこんでいますが、こういう意識以前の心を豊かに育てることが潜在意識教育なのです。それ故、教育は受胎と同時に始めるべきだと思うのです。
人を愛する心も、潜在意識の中に育ってこそその人のものとなるのであって、いくら理屈で教えても、それだけでは育たないのです。
人間は生まれてからでは、その倍育つのに半年以上もかかります。しかし胎内では9カ月のうちに数千倍になるのですから、心の育つことも大幅に行われることがあっても不思議ではありません。身体そのものを丈夫にすることも、胎内にあるうちにその基盤ができるのであって、生まれてからの食事や運動の工夫だけでは不充分なのです。
母体は受胎したときから胎児の要求と重なった要求を感ずるようになる。例えば、食べ物でも、それまで食べたいと思ったこともない物を欲することも珍しくなく、酒やたばこが欲しくなるとか、酸っぱいもの、苦いもの、子どものときに食べたものが食べたくなるとか、食欲が急に減ったり、増えたりすることが多々あります。
そこで受胎したことがわかったその日から、母体の要求を中心にした生活様式を営むことです。すなわち、母体の食べたいとき、食べたい物を、食べたいだけ食べる。酒が飲みたかったら飲む。茶漬けが食べたかったら食べる。栄養分析表にとらわれることなく、その欲するものだけ食べる。動くのも、働くのもまた同じであります。
妊娠期間は亭主も母体の要求を尊重しなければならない。食べることも、動くことも、性欲もその如くです。それが潜在意識教育の第一歩です。受胎中こうして育った赤ちゃんははつらつとして、特殊なリズムをもっています。顔つきが豊かです。可笑しいけれど本当です。
胎児は母親と直結しているのです。母親が怒れば、子どもにも怒った血が流れていくのです。怒りというのは、ただ頭の中に起こるだけでなく、怒りに応じた毒素というか、特殊な分泌物を分泌するのです。びっくりすればアドレナリンの分泌量が増えるように、怒っても不安になっても、みんなそれに応じた変化がある。そういうことを通して胎児に影響をしていくのです。だから赤ちゃんを産むということは一つの精神修養であって、怒ったり泣いたりすることが子どもに影響することを知るべきです。
しかし、怒ったら子どもに影響すると考えて、悔しいのに一生懸命我慢しているのはいけない。腹が立っているのなら、それを抑えていてはいけないのです。我慢したら怒りがなくなるように思っているけれども、抑えた感情は鬱積して、働き続け、そして隙さえあればパッと飛び出すのです。怒ることは鬱散になり、泣くことはショックに対する調整運動になるのですから、妊娠中には溜めないで、丈夫な亭主なり、お母さん、お父さんにどんどん八つ当たりして、鬱滞しないようにすることが、生まれてくる赤ちゃんにとって大切なことです。妊娠中に鬱散しておかないと、その抑えつけた不満が、生まれたばかりの赤ちゃんに八つ当たりしないとも限らない。特に女性は感情のブレーキが弱い構造をしていますから、八つ当たりしやすいのです。その八つ当たりも訓練されていなくて、思いあまっての八つ当たりでは、相手が赤ちゃんだったらたまらない。そこで八つ当たりは妊娠中にせいぜいやっておいた方が安全無事です。
出産について一番大切なことは、育てつつあることを自覚することです。生んでから育てるのではなく、産む前から、毎日毎日、毎瞬間、毎秒、育てているのです。これはだれでも知っていると思うのですが、育てつつあるということを改めて自覚すると、行動が変わってくるのです。全部の動作がその一つの方向に結ばれるのです。ただ歩くにしても、散歩で何分歩きましたというのは違うのです。育てつつある自覚、育てるために歩いているという自覚。話しかけにしても、育てるために話しかけているということをいつも自覚していなければならない。格好だけ守ってもダメです。それさえきちんとすれば子どもは充実して良い方向へ進んでいきます。
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